『石井さん  おっぱい』

 

 

私は、仕事ではパソコンを使用している。

 

 

今の仕事を始める前までは、人差し指だけを使い、タイピングをしていたが、2年目となると、もうすっかりタッチタイピングができるようになった。

(調べたら、今ではブラインドタッチって言わず、タッチタイピングが主流らしい。)

 

 

アルバイトで入社した当時、隣の席の先輩が、凄まじい速さでタッチタイピングをしていて圧倒されていたが、今では私があの時の先輩になっている。

 

 

ただ、私のタイピングは、勢い重視で必ずといっていいぐらいに誤字してしまう。

そのため、一回打った一文を一度全部削除して、改めて打ち直すのが当たり前の動作となっている。

 

 

 

ある日、社内宛の連絡で、「お疲れ様です。」を打っていたら、いつもの調子で途中の文字を打ち間違えたらしく、予測変換に『おっぱい』が出てきてしまった。

 

あまりにも会社と『おっぱい』が結びつかなすぎて、瞬時にリアクションができず、頭より先に体が動き、エンターキーを押していた。

 

 

すると、メールの文章内に

 

『石井さん

 

 おっぱい』

 

の文字が現れた。

 

 

それを見たらようやく頭が追いついてきて、じわじわ笑いが込み上げ、

「おっぱい、て」

と、在宅勤務をいいことに声にしてツッコミを入れる。

 


これは、私の会社人生で、会社とおっぱいが結びついた唯一の日であろう。

石井さんが結びつけてくれたのかも知れない。

 

 

石井さんとは、ボブカットで目がくりくりしている他部署の次長である。

こんなとこで、話に出されて、しかも『おっぱい』と絡めた内容だなんて、迷惑な話であろう。

 

 

 

 

 

そのあと、いないはずの観客に惜しまれつつ『おっぱい』はバックスペースで姿を消した。

 

何も知らない『お疲れ様です。』が姿を現し、何も知らない石井さんは、平気な顔して内容を読むだろう。

 

 

just

 

2021年4月25日

 

f:id:tnasm:20210425200348j:image

 

 

昨日、「私物」というインディペントのブランドで、いいTシャツを買った。

 

 

このご時世だが、贅沢にも目の前でTシャツをパッケージしてくれ、その動作が当たり前のようだったが、あまりにも丁寧で、それがとても嬉しかった。

手渡しで受け取ったそれがあまりにも嬉しくて、そのまま部屋に飾りたい!と思ったほどだった。

 

家に帰って、思ったまま、壁に立てかけてみたが、中身はTシャツ。

下からだらしなく床に流れていってしまい、あからさまにガッカリした。

しかも、Tシャツなので、着たい。

そのままパッケージしておくわけにはいかず、いずれ開封するときがくる。

 

 

そのとき、閃いた。

 

 

「その時、その瞬間のパッケージをそのまま印刷しよう!」

 

 

 

私は天才だと思った。

 

 

次の日(それが今日)に、近くのセブンイレブンに駆け込み、小銭がなかったので、ジャスミン茶で崩したりなどの小話もあったが、見事な印刷物が出来上がった。

閃いてくれた私ありがとう。

 

 

 

f:id:tnasm:20210425203216j:image

 

私物

https://instagram.com/shi_butsu?igshid=1nprxoy0o8icf

 

 

 

 

『目黒のあのスタジオが喫茶店になったんだって』

 

 

大学時代に入っていた軽音サークルでバンドを組んでいた。

 

 

スリーピースバンドで、その時いつも一緒にいた3人で組んだ。

ギターボーカルが俺で、ドラムがともちんで、ベースがとね。

 

バンド名は「lily no lyric」。

3人それぞれ単語を出して、投票制で決めた名前だ。すごく繊細で雰囲気もあって、とても気に入っている。

曲は、カバーとオリジナル曲を一曲ずつ文化祭で演奏をした。

 

 


その時、通っていたスタジオのことを、ベースにそう言われた。

 

そのベースは、ベースの才能はなく、俺が言ったコードを下手くそに演奏するタイプだった。

 


「あの時行ってた目黒のスタジオが喫茶店になってたよ!

これ、あれじゃない?歌詞にできるんじゃない?」

相変わらずのちゃらんぽらんな声のトーンでそう言って、続けた。

 

 


「大学時代に通ってたあのスタジオが喫茶店になったんだって。

 


その時、組んでたちゃらんぽらんなベースがそう言ってきた。

茶店の名前はmoonというらしい。

ちゃらんぽらんでベースの才能はなかったが、その一言で俺をエモーショナルにさせる才能はあったんだな。」

 

 

 

これは、フィクションである。

 

 

 

ブログ

 

2021年4月24日

ブログをはじめることにしました。

ブログをはじめると言うよりかは、自分の感じたことなどを言葉にして人に見てもらうことをはじめました。

 

 

 

3度目の緊急事態宣言が出された次の日、敬愛する先輩から

 

「どう」

 

と、だけのLINEが届き、

 

「こんにちわ!準備します!」

 

と、流れるように返信をして、言葉通り準備をしたあと、1年ぶりにお会いした。

 

 

この先輩とは、私の最終学歴となる大学院で大変お世話になった人で、今の私を形成するにあたり、この人の影響が大きいと言っても過言ではない。

(先輩との話はいずれまた書こう)

 

 

詳細を書くつもりはないが(こちらもあっさり書きたくなくて根気がいるため)、楽しかったことは紛れもなく、たくさんの話をした。

その中で、ブログの話が出た。

 

 

完全なる後出しでダサいが、何か書き物をしたいと思っていた。

文章力に特段の自信があるわけではなく、自分の気持ちをキャッチして言葉にすることを最近意識し始めて、何か書くことを始めたいと考えていた。

 

そんな時に話が出たため、ちゃっかり乗っかって、ブログをはじめることを決めた。

先輩に宣言したら、勝手に始めれば、とあしらわれたが、自分自身に言い聞かせられたので、よかったと思う。

 

 

その足で、今こうして書いているのだが、実は、前にもはてなブログを始めたことがあり、その時に作ったアカウントをそのまま使用している。

 

その時に始めたきっかけも先輩であった。

 

2018年2月25日に「縄跳びでもなんでもいいから何かやりなよと言われ、ブログでも書きなよ、と言われた。」らしい。

 

 

と言うことは、これは、2度目のブログ書く宣言の発令ということだろうか。

3度目はないことにしたい。

 

 

 

 

「物作ってる人を信頼してる」

 

 

 

そう先輩は言っていた。私は物作りをしていない。

 

それでも笑い合えることに油断せず、まずはブログをはじめることにしました。