2月

 

あけましたね。そして、2022年ですね。

某年始の特番で蛙亭の中野さんが2022年2月22日に結婚する宣言をしていましたね。同じ番組でAマッソの2人ともが結婚していることを知ってデカめの「えっ」が出てしまいました。全然いいのになんでああいうのって驚いてしまうんですかね。

さて、なんだか今年の2月は、年が明けてだいぶ経っているんですが、こっからが本番って感じがしていて、本腰入れていくぞ!って感覚があります。なにに本腰を入れるのかはさだかではありませんが…。去年よりも一層、意識して生活していく必要がありそうです。

 

全然話は変わりますが、今日絵を展示しているお花屋さんに行きました。絵を見ていたら、そのお花屋さんの店主の方が話しかけてきてくれて、見ていた絵に描かれていた花について「ここの葉っぱがピンクなのが不思議ですよね〜。葉っぱが黒く見えてるなんて花屋目線で言ったら考えられないですよ〜。(葉っぱは主に黒で描かれていて所々ピンク色が入っている)」と言っていて、とてもよかった。絵を芸術として、葉っぱがピンクや黒でも"そういうもの"、"芸術ならそういうことあるよね"ってことにせず、真正面から向き合って、出た感覚だと思うからとても純粋で良いと思ったし、素敵な人だなと思った。

その後もお花屋さんなのに「全然花買わなくていいで!」と、絵を見に来た人への配慮だったと思うんだけど、とても清々しくて、めちゃくちゃ笑ってしまった。

本当に思って言ったんだと思うんだけど、逆に買いたい気持ちになってしまい、もちろん気になる花があったので、一輪購入した。花を買うのはひさびさだった。いいピンク色した菊の花。めずらしいと思った。

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私の住んでいる家の玄関先にはフックがある。

引っ越してすぐは、何用なのかわからなかったが、他住人の玄関先のフックに傘がかかっていたので、傘掛けなのだと、その日から認知し、生活をしていた。

私の使い方としては、雨の日に使った傘をそのまま家に入れると玄関周りがびしょびしょになるし、傘自体も錆びてしまうので、帰ったら傘をフックにかけて、家に入るという雨の日のルーティーンがあった。

その日は来た。

雨の日に出かけようとしたら、フックにかけたはずの傘がなくなっていた。気づいた瞬間に時が止まり、家に入れたのかもと探したが、家の中にもなく、「えっ……。確かに昨日まではあったはずやん…。見かけた記憶がある。うそやん。これは…誰かにやられた…。絶対に誰かにやられた!!」という、ひさびさにふつふつと湧き上がった。


状況として、前日は雨は降っておらず、前日の前日に雨だったので、使った傘をそのままフックにかけて置いていた。

「そのまま置いてたからやろ!」っていうのは重々承知で、なんならなぜしまわなかったんだろうと酷く自分を責めるまである。しかし、だからといって取っていいわけではない!と、今は主張させてほしい。

そもそも傘ってどうしてこんなにも容易いものとされてしまうんだろうか。どこにでもあるから?どこでも手に入るから?いずれにしても買うより誰かのを使ってしまえという考えに至るのはどうかと思う。

この感じを他で例えてみる。例えば学校で、宿題をやらずに誰かに見してもらえばいいやと考えるのと似ている気がする。自分はめんどくさいことをやらずに他の人が頑張ったことを容易く自分のことのようにしてしまうあの感じ。

他はどうだろう。例えば学校で、授業に必要な道具を用意しておかなきゃいけないのに誰かに借りればいいやと考える感じにも似ている。

そういえば、そういう人たちほど要領がよく、なんだか先生には好かれ、彼氏がいて、なんだか人生を楽しそうにしていたのを思い出した。

学生時代の私はというと、こんな例えを出したが、貸したこともあるし貸してもらったこともあるし、なんとも中途半端。そっち側にも、あっち側にもなれない劣等感を持っていたので、銀杏BOYZがよく刺さった。


傘の話に戻る。その取ってしまう側の人がめんどくさがった傘を買うという行為をして手に入れた誰かの傘。それはもう傘そのものと、傘を買うというその人の行為、精神、金銭も一緒に取ってしまっているのを改めて肝に銘じて欲しい。

値段やもののチープさゆえに忘れられがちだが、誰かのものを取るという行為は、対象が自転車や財布や宝石と何ら変わりはない。

そして、忘れちゃいけないのが、コンビニで傘が取られたのではない、私が住んでいる玄関にかけておいた傘が取られてしまったのだ。

コンビニでは雨の日なら店前に傘立てが置いてあり、そこに何本も傘がささっているだろう。店内にも傘とほぼ同じ数の人がいるが、どの傘が誰の傘なのかは追いかけることはなかなかできない。そのために、誰かのものという認識は薄く、取るには罪悪感があまりないのかもしれない。

だが、今回は、私が住んでいる玄関先にかけておいた傘が取られていたのだ。その家に住んでいる人のものと確かにわかるその傘を誰かは取っていってしまったのである。どうだろうか。どういうことだろうか。

そういう考えに至る人が住んでいるマンションに私は住んでいる。

もしかすると、隣の家の人の可能性もある。そう思ったら、隣の家の前を通るたびに扉を睨んでまいそうである。それか、Uber Eatsで頼んだ唐揚げかナゲットかの複数個入っている何かを配達員さんにひとつ食べられてしまえと願ってまいそうになる。はたまた、深夜の時間帯にニンニクが効いた炒飯を作り、窓全開で食べることによって、隣の家の人のお腹が空き、「こんな時間に食べたらあかん」と葛藤させてまいそうになる。

 


この日から、玄関先のフックに私は傘をかけていない。

 

「言葉持ってんなぁ〜」

 

私は自分自身のことを、言葉にするのが得意ではない、と思っている。

苦手と言えばいいのだが、苦手と言ってしまえば、伸び代もなく、それで終わってしまう気がするので、あえて得意ではないと言いたい。

前世でおそらくテレパシーを使っていたか、そもそも今世の私ができる、伝えるという手段は、言葉じゃないのでは、とも思う。

ただ、言葉はとても好きだ。

言葉に対して、好き、という表現があっているかはわからないけど、言葉にすることをとても魅力的に感じている。

だからこそ、言葉を知っている人や、ちゃんと言葉にできる人を尊敬する。

その中でも、ピースの又吉さんはとてもいい。

又吉さんは「渦」というYouTubeチャンネルをやっている。色んな企画をあげているが、特に「百の三」という企画がめちゃくちゃ面白い。1つの質問に対し、100個の答えを出すことで普段出ないような「才能を超えた3つ」の答えを出す、という企画で、現在、「自分を大人にしてくれた名言・迷言」を100個あげているのだが、どれも刺さりまくる。

あげている名言自体もとてもいいのだか、又吉さんの解説や大人にしてくれた理由など、合間の喋りがより良い。動画内の言葉を借りると、「言葉を持ってんなぁ〜」と思う。とてもうらやましいし、見ていてなんだか気持ちがいい。嘘がないというか、言葉がすんなりと入ってくる。

ちゃんと自分の気持ちをキャッチして自分の気持ちに正直な言葉で伝えているからだろうか。

 

今、人間として生きているうちは、言葉で伝えないと伝わらないことが多々ある。というか、ほとんど。とってもめんどくさいよね。

だけど、私も自分の気持ちをキャッチする次は、伝えるステップに移行する時らしいので、マイペースに本でも読もうと思う。

言葉を知ることで自分の感情とかもより“知る”ことに繋がって、そうすれば、より“自分を知る”ことができるってことなんだなぁー、と最近考える。

 

https://youtu.be/jAVMZyFnb6A

 

どこへでも行ける気がする ずっとこのままがいい

 

2021年5月27日

 

あの時、あの時間 あの時間の流れ

どこへでも行ける気がする

ずっとこのままがいい。

 

午前11:20ごろ、映画を見終わって、お昼に食べると決めていたお寿司屋さんまであるいてむかう

片手には、チャイティーラテ。

できるだけ人の少ない道をあるく。

何もない時間 ただあるく。

ただあるきたい道をあるく。

自由

あの時間がすきだ。

なにものでもない。

サイコー。

あの時間が私には大切で、私の源?元といってもいい。

できれば毎週あってほしい。

週4ではたらきたい。

そんなに働きたくない。何も考えたくない。

 

あの時間(というべきなのか?)を、もうすこしぐたい的にとらえたいのだが、とにかく歩くということにポイントをおいて、朝に歩く時間をもうけてみることにした。(早起きはにがてだ)

 

 

 

ps.今日は久々にお休みをもらった。5月の祝日で何日かは休みがあったけど、それじゃ意味なくて、通常運転のときにお休みする必要があった。誰かが働いている時に休みたかったのだ。

見たかった映画を見て、贅沢の代名詞お寿司を食べることだけ決めていた。朝早い上映を見たからか、見た後がまだ午前中だったのが清々しかったのもあると思う。

たまに感じるあの時間が私にはある。それを忘れたくなくて、思い出しながらノートに殴り書きした。それをここでも書いておきたかったのでできるだけノートのまま(あの時の気持ちを感じたまま)にした。記録。

 

今日一日

 

 

2021年5月9日

 

今日は、とてものんびりしていた。

 

 

 

 

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お昼が近づくにつれて、完全に今日はピザだと思ってた。

 

あの時食べたピザがおいしくて、それから好きな食べ物認定をした。どうしてもあの時の、口の中チーズにしたくなったのだ。

ちょうど家にあったチラシでピザの確認をしていると、なんだか値段が高く感じて、最近お金使いすぎてる気がしたから、持ち帰りも考えたけど、今日はのんびりしているので、諦めた。

だけど、お腹の減り具合から今日は高カロリーデイにしたので、松屋のそれと大好きな味のカップラーメン、写真にはないが、セブンで買ったブリトー?みたいなのに家にあったスライスチーズを足したやつも食べた。ほくほくした。

(机にマットを敷いているけど汚れてほしくないので食べるときはチラシも敷いている。絵がジャンキーだ。)

 

 

 

 

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最近なんだか、お花が目に入る。

 

この写真とは別のお家だが、この前までピンクのお花が咲いていて、うっとりしていたのを覚えていた。今日そこを横切るときに、黄色い花がたくさん咲いていた。そこのお家は季節ごとのお花が楽しめるお家なんだと思った。楽しもうとしてる人が住んでいるということだろう。すてきだ。

 

 

 

 


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きっかけは忘れたが、電車で移動しているときに、急に市川実日子になりたいと思った。

 

Googleで、市川実日子、と検索をして画像をたくさん見る。とても良い。どれも良い。どの写真も良い。市川実日子 ファッション、でも検索をする。とても良い。どれも良い。なんて良いんだ。こんなことあるのか?こんなことあっていいのか?いいなぁ。わたしもこんな感じになりたいなぁー。そうだ、なろ。そうしよ。そうすることにしよ。

 

あぁ、市川姉妹を嫌いなわけないなぁー。

市川美和子(姉)がインスタをやってて、そこに、『シンゴジラじゃないほう。』って書いてあった。めちゃくちゃいい。なんだこれ、めちゃくちゃいい。

 

検索をしていて、市川実日子の誕生日が出てきた。6月13日だった。私と3日違いだから、ほぼ市川実日子ってことにしていいと思った。

 

 

 


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今日は暑かった。

 

 

用事の帰りに、ひさびさに最寄りの銭湯に行こうと決めていた。

なので、荷物に銭湯セットを入れて、今日は動いていた。

用事を終わりにして、最寄りの駅に着く。

改札を出て、少し向こうから歩いてきたカップルに目が行く。少し会話が気になったが、いつものように気にしてません雰囲気の術を使い、歩きを進める。

道を曲がり、銭湯に向かうだけの道になる。なんだかいつもより静かな気がした。

「どこから入るぅ?」という声でさっきのカップルが後ろを歩いているのに気づいた。おそらく目的はおなじだろう。

静けさがなんとなく気になって、施設の掲示板を横切るときに見たら赤字で「休業」の文字があった。期間までは見えなかったので、希望を胸に、ずいずい歩きを進めて、入り口までもうすぐの階段を登る。カップルもお風呂の話の盛り上がりが増しているように聞こえる。

しかし、先を歩いている私の目に、入り口が暗いのが見えた。これはもうそういうことだ。

なんとなくそれに気がついたことを、後ろのカップルにも伝わるように、前のめりだった歩きを、ほんの一瞬ゆっくりにしてみた。意味はない。

そう、意味はないので、一瞬で切り替えて、私はさもその道を通り過ぎるだけでしたのように、ずいずい歩いて入り口を通り過ぎた。

 

後ろのカップルはようやく気がついて、笑い合っていた。

彼女が『調べなかったのぉ〜?』と、言っていた。あのカップルもまた、花束なのかもしれない。

歩いた先には駐車場があり、空が広がった。いい感じだった。

 

そんな、今日一日。

 

 

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花束みたいな恋をした。

 

 

2021年5月8日

 

今日、ようやく死ぬ覚悟で、『花束みたいな恋をした』を見た。

死にはしなかったけど、なんだか疲れた。

 

 

 

これは、見て、感じたことをそのまま記入したものである。

ストーリーの順番はめちゃくちゃだが、ネタバレがあるので、読む場合は気をつけてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

途中までは、絹ちゃんに感情移入してた

だから麦くんにめちゃくちゃ腹立ってた

転職の話で、じゃあ結婚しようって言われて、こんな感じの想像してなかった、で話は終わった。そのあと、入れてた紅茶?が苦いかもしれないことを伝える気遣いを言って、むしろこのほうが美味しいってやさしさなのか分からん言葉が返ってきて、会話が続く。すごく、怖い。ちゃんと嫌いになっていいし、ちゃんとぶつかればよかったのに。

 


たぶん久々のデートで映画館に行った。一緒に見たかった映画で、ぐっときたシーンの時に盗み見たら、よくわかんない表情してた。

その夜、してほしいことあったら何でも言ってねって言ってた。まじ意味わからん。

あんな顔しておきながらどのくちがゆうとんねん。

心の声で、学生気分が抜けてないって言ってた。意味わからん。

 


あのパン屋のことだって、あの時行ったパン屋だったのに、他でいいはずがないのだ。

 


前半の出会いから盛り上がり、ピークは、めちゃくちゃドキドキして、全部覚えておきたいくらいだった。自分のことみたいに。

じゃんけんの話は、まじで奇跡だと思った。思考回路が同じじゃないと、ひっかからんし(私もほんの一瞬「どないやねん」と思ったことあるが、映画見るまでは今の今まで忘れてたし、人に話すほどのことに思っていなかった。)、もう、そういうことだと思ってた。

 

 

恋愛依存症のブログの人が自殺した話。

絹は終わりが来ることに触れていた。知っていたのかもしれない。この恋愛が終わることというわけじゃないけど、それは嫌だったし。でも、花の名前、教えたってよかったのに。教えなかった。真似したかっただけかもしれないけど。

 


途中までは、わたしの話かと思ってた。それくらい絹ちゃんへ感情移入ができた。

なんとなく別れが脳裏にあって、仕事を頑張る相手に気を使う感じ。漫画の最新刊、見えないようにテーブルから片付けて。

相手は7巻で止まってるといった。変わらないままは君の方じゃないか。わたしを言い訳に頑張らないで欲しい。そんなんだったらやめればいいのに。

 


あの茄子の本。好きを共感する2人の繋がりみたいなのが、そこから見えなくなってきた瞬間だと思う。ちゃんと向き合って欲しかったし、あんな投げ方したらもう終わりよ。

 


服装で変化を表してるのは面白い。

ミイラ展の服装はアウターがネイビーで、グレーのパーカー。パン屋の帰りはセーターに、カーディガンに、ジーパン。

靴は言わずもがな。

 


責任とは。勝手に責任感じて、同じそれを求めないで欲しい。


どうすればよかったのだろう。もっと話せばよかったのかな。

 


別れると決めて友達に伝えるシーンの前、セックスをしてた。なんのセックス?好きじゃなくなったならしたくないもんじゃん?もしかすると本当に別れる決心をするセックスだったのかもしれん。確認したかったのかもしれん。

 


2人とも友達に、いい思い出として残るように別れると伝えてた。クソだなと思った。綺麗事でクソみたいだと思った。

 

 

ここからそれぞれの気持ちをハッキリと掴み取れなくなる。

 


ファミレスで別れ話に進む。お互いに察していて、やっぱり出会ったあの時の感覚は間違えではない。

絹ちゃんは別れる決心がついていた。

麦もそのつもりだったらしいけど。

 


一緒にいるための結婚なんぞ虚しすぎる。

私もこのまま一緒にいてどうするんだろうとずっと考えてた。答えはでなかった。結婚という同じ方向を向きたかっただけだったのかもしれない。

途中で来た若い男女を出会った頃の自分たちと重ねる。あの時みたいにキラキラしてて、ドキドキしてて、あの感覚。

そして、今それがないことを感じたんだと思う。恋愛感情がなくてもって言ってた。あの感じはなんなんだろう。

 


だけど、別れた。

 

 

苦しくなるほど泣く予定だったのを思い出して、いつ泣くんだろうと思ってた。

 

そしたら、絹ちゃんが泣いて、私も泣けた。

 


飛び出す、絹。追いかける、麦。めちゃくちゃ、泣きながら、抱きしめ合う。その感情をもっと早くどうにかできればよかったのだろうか。

 

 

転職の話、相談せずにガンガン話が進んでた。でも話したら、止められるとわかってたと思う。麦は、2人のためにとりあえずの辛い仕事をしてて、絹ちゃんは自分が楽しいと思える仕事を選んだ。絹ちゃんはそれで間違ってないと思う。でも、共存とは。お互い同じところを見ていなかったのかもしれない。

絹ちゃんは知ってた頑張ってくれてること。

 

 

茄子の本の続き。

なんかようわからんけど、大丈夫って思うてたんやろうけど、あの瞬間からもう終わってんじゃねぇかって思う。

一緒にいれるから大丈夫とか、俺は絹ちゃんのために働いてるから大丈夫だと思うなよ、と。心が通ってないと?向き合ってないと?意味ないじゃない。

 

 

別れの話から、手を振るところまではようわからんで終わってるけど、途中までは完全に、あの時の私の気持ちを重ねすぎて、腹立ったのは、絹ちゃんと麦くんにじゃなくて、あの時の私たちにだったかもしれない。できなかった自分と、してくれなかった彼に対して。


だからなのか、花束だったのか?とも思ってしまう。

花束とは。

 

 

映画を見た友達が言っていた。お互いに好き同士で別れたって。そこが花束なのかもそれない。だからわからなかったのかもしれない。

 

 

冒頭のシーン、2020年。

出会う前の話かと思った。

次に、2015年の文字。ここ好き。

 

 

出会いからはじまって、冒頭の回収がはいる。

ふたりの一緒に過ごした日々は、確かに血肉になってた。

だけど、おそらく、ふたりは、また付き合うことはないのかもしれない。

花束なのに。

 

 

Googleストリートビューで見つけたときは、私も声に出して喜んでしまった。それほどには花束だったのかもしれない。

 

 

 

 

予告で、絹ちゃんのセリフ『心臓がなった』が、本当に心臓が鳴ったように聞こえた。セリフなのに。劇中では、心臓が鳴ったけど、ってなっていて、予告で聞いたときの感じではなかった気がした。

 

 

 

 

映画を見て、こうやって思い出しながら入力してたからか、どっと疲れた。感情移入しすぎたんだと思う。一つの恋をしたように。一つの恋が終わったように。あの時のよう。

だけど、決して、泣き疲れたわけではない。

ただ、わたしは、疲れたんだ。

 

 

 

 

 

ハマる

 

2021年4月28日

 

今日は朝からなんだか、ぼやぼやしていた。

 

 

昨日、缶ビール2本と、帰り道に夜風を感じながらレモンサワーを飲んで、帰ってから冷蔵庫で留守番をしていた缶ビールを飲んだからだろうか。

 

 

 

なんというか、目が覚めていないというか、自分にハマっていない感じだ。

意識がちらほらして、肝心の自分が疎かになってしまう。そんな日だった。

 

 

 

それにしても、「ハマる」という言葉はすごい。

これには最近気がついた。

 

 

私は、食べ物や音楽やなんでも、「ハマる」とずっとそればかりになる。

 

その時も、ハマった曲を取り憑かれたように聴いていて、「私これハマってんなぁ〜」って思った時に気がついた。

 

 

そう、言葉通り、それがピッタリと私の心にハマってきているのだ。

「ハマる」って、そのままやん!

 

 

以前まではそこまでだったのに、その瞬間、ハマったのだ。

 

 

 

スコーン

 

バチコーン

 

ビターン

 

 

 

こんな感じだろうか。

 

 

まだありそうだが、私のボキャブラリーでは限界がある。

 

私以外のハマる擬音論を聞いてみたいものだ。おもしろそう。

 

 

 

 

 

明日は、自分にハマれてるといいな。

 

ズコーン